チンパンジーは、人類に最も近い種であり、最近はチンパンジーを「ヒト属」に入れるべきだという科学者の意見も出ています。その結果、これまでヒトの身代わりとして肝炎やエイズの研究などに「動物として」使ってきたチンパンジーの実験は、ほとんど「人体実験」同様と考えられるようになり、もはや倫理的に許されないという動きが国際的に高まってきています。
それに伴い各国の法律も改正・制定され、2001年にオランダでチンパンジーの実験が廃止され、サンクチュアリ(保護区)に移されることが決定したことにより、ヨーロッパではすべてのチンパンジーの実験がなくなりました。アメリカでも、2000年に実験用チンパンジーをリタイアさせ、国立のサンクチュアリに移すという法律が通過しています。(ALIVE、海外の法律を参照)
一方、日本では、国内にいるチンパンジーの3分の1(百数十頭)が実験施設で飼育されているというのに、このようなことが公に議論されたことはほとんどありません。しかも、欧米の世論に逆行するかのように、これを国の「バイオリソース計画」に組み込み、国の予算で実験動物資源にしてしまおうという計画が進んでいます。
今回、当会では、以下の要望書を文部科学省ほかに送りました。
2003年2月3日
文部科学大臣 様
日本国内のチンパンジーの保護に関する要望書
私共は、絶滅のおそれのある大型類人猿、チンパンジーの保護と福祉の現状に深い危惧と憂慮の念を抱いております。
このほど貴省は、バイオリソース・プログラムの生物資源(バイオリソース)のひとつとして、現在、日本国内で人間の飼育下にあるチンパンジーを国家予算で維持し、研究者の要望に応じて提供できる体制を整えつつあるとうかがっております。
私共は、チンパンジーを国のバイオリソース・プログラムに組み込むことに同意することができません。それは、国がチンパンジーを監禁状態におき、侵襲的な実験に利用することを公に認知することになると危惧するからです。ここにその理由を記したいとおもいます。
1、倫理的見地からの問題
チンパンジーはいま絶滅の危機にさらされていること、また、かけがえのないユニークな存在であることが、メディア等を通して一般に広く人々に知られています。
チンパンジーは、ヒトと最も系統的に近縁な動物で、道具やシンボルを使用する能力をもっていることは有名です。自然環境では、旺盛な好奇心をもち、音声やドラミングや身振りで、仲間に情報を伝えあいます。それだけでなく、社会的場面において驚くべき知的能力を示します。共感や同情の感情を持ち、慰撫や和解をするだけでなく、連合や干渉、操作、分離のための介入など高度に政治的な行動も見られます。母子間などの親しい関係では、キスや握手など情愛深いしぐさを示し、食物を分配することもまれではありません。
400品目にもおよぶバラエティに富んだ食事をし、社会の単位は、50ー100頭からなる集団です。単位集団は、30平方キロから500平方キロにおよぶ広い縄張りをもっています。地域間では文化の違いが見られ、社会的学習によって多方面の情報が次の世代に伝えられていく点も、ヒトと共通です。
このように、チンパンジーが必要とする生活環境や刺激はヒトのそれとあまり違うとは考えられず、ヒトの利益に供するために彼らを監禁すること自体が、倫理に反することと考えられます。こういった理解は、野生チンパンジーの注意深い研究が1960年代に始まって以来、次第に一般的になり、先進各国ではチンパンジーを侵襲的な研究には使わない方向で、急速に意見の一致が見られつつあります。
2、諸外国での保護の動向
イギリス、ニュージーランドではすでに実質上、大型類人猿の実験が法律で禁止されており、また、ドイツでは動物の権利が憲法に盛り込まれ、大型類人猿のみならず動物実験自体の存続が疑問視されています。EU内で現在、チンパンジーを飼育している実験施設はオランダの生物医学研究センターだけですが、2002年10月4日、オランダの教育文化科学相とセンターの所長は、チンパンジーの所有権をこのセンターからオランダ国内とスペインにあるサンクチュアリに譲渡するという書類に正式に署名しました。
これにより、チンパンジーはこれらのサンクチュアリが完成し次第「引退」することになりました。また、保健福祉スポーツ相は、1997年に制定されたオランダの動物実験法の改正案を2002年8月に提出し、大型類人猿の生物医学実験への使用を禁止しようとしています。また、カナダでも大型類人猿の実験使用禁止に向けて法改正の準備が進められていると聞いています。
アメリカでは1986年に政府が打ち出した計画により、AIDS研究利用目的でチンパンジーを繁殖しましたが、長い年月と莫大な税金を費やしたのち、チンパンジーがAIDS研究の動物モデルとしては不適格であることが判明しました。この結果、現在アメリカ国内にいる実験用チンパンジー千数百頭の多くは余剰とされ、ただ施設で飼育されているだけの状態です。チンパンジーは実験に使われる他の動物と比較して寿命が長く、しかも安楽死が認められていないため、これらのチンパンジーの飼養費は納税者の重い負担となってきました。このため、アメリカ政府は税金の負担を削減する目的で「余剰チンパンジー」を実験施設から民営のサンクチュアリへ移す「チンパンジー・サンクチュアリ法」を成立させ、実験施設で飼育されるチンパンジーの数を減らそうとしているところです。
以上から、米国以外のすべての先進国で、チンパンジーの飼育下での侵襲的な研究は永久に追放されようとしています。そして、今、世界中で大型類人猿の実験使用禁止を求めている人々の中には多くの著名な動物学者や哲学者が含まれています。
3、多くの国民が支持しない研究
このように国際的に大型類人猿の実験削減・廃止へと向かっているのが明らかな今、なぜ日本ではわざわざそれに逆行するような提案がなされているのでしょうか。
また、経済が低迷し、国民が将来に不安を抱えて生活している昨今、このような長年にわたり巨額な税金を費やさなければならない可能性のあるプロジェクトに乗り出すことに納税者が納得するか疑問に思われます。感染症研究・医薬品評価研究などにおいては、データの信頼性はいうまでもなく、コスト的にも時間的にも動物実験に優る様々な代替法が開発されています。また、心理学・脳科学研究においては、ボランティアなどで参加する人間の被験者を保護する研究環境の整備、非侵襲的実験機器の開発も進んでおり、発声言語を介して研究者と意志の疎通をはかることのできる被験者の協力を得ての研究による新しい発見が相次いでおります。
以上の諸理由から、現在日本で飼育されているチンパンジーをバイオリソースとして国で管理することはやめていただくようお願い申し上げます。野生において絶滅の危機にさらされているチンパンジーは日本だけでなく世界の財産です。この貴重な生物を、その価値に見合った待遇に処すべく、国内外の専門家、動物保護関係者と協力し、サンクチュアリなどの施設で飼養することを是非ご検討いただきたくお願い致します。